2009年12月4日金曜日

聖フランシスコとその時代

ベラルド・ロッシ「聖フランシスコとその時代」サンパウロ、2009年、¥2600+税

日本語版へのわたしの思い

BerardRossi 本の著者にとって、その本の翻訳出版の許可を依頼されることほど喜ばしいことはありません。
インノセント三世によって会則が裁可されたことを記念する八〇〇周年(二〇〇九年)を迎えるにあたり、日本の皆さんに聖人を紹介するために、フランシスコの生涯について書かれた多くの本の中で、わたしの本を選んでくださったことは、わたしにとって大変に栄誉あることであり、喜びです。
実のところ、初めのうちは喜びのうちにも不安を感じました。なぜなら、日本は古くて気高く、洗練された芸術文化を持った国であると聞いていたからです。受け入れてもらうためにはレベルの高いものでなければなりません。そして、その文化は感性や考え方、歴史的な背景において、・わたしたちのものとは非常に異なっており、遠い存在と感じるからです。しかし、わたしの文章が持つわずかな価値、その中身の意味を変えることなく、日本人の読者に分かりやすく翻訳してくださる優秀な方々のことを伝え聞き安心しました。
わたしの本は忠実に源泉に基づいていますし(特にフランシスコ自身の書き物)、聖人が生きていた歴史的、地理的背景の中に措かれています。同時代の伝記作家の述べていることや資料をふんだんに用い、そのままわたしの文章の中に組み入れることにしました。
源泉には聖フランシスコの本質的と思われる特徴、いわゆる彼の普遍性が強調されています。彼はイタリア人です。しかし父親はイタリア人ですが、母親はフランス人でした。教皇とも親密な関係を持ち、同時にエジプトのサルタンの友となり、ヨーロッパや地中海沿線をうむことなく歩き回り、自らを世界の、すべての被造物や宇宙の二月であると感じてもいました。自分の修房の四つの壁の屋根は天そのものであると言っていました。
  一九八六年に教皇ヨハネ・パウロ二世が初めて世界の主な宗教の代表者会議を計画していた時のことですが、その集いの場所を選択するために大きな困難を感じていました。なぜなら、その中の誰かに好まれるような場所は他の誰かに拒否されていたからです。そこでアシジが提案されました。そして、後に何回もその話をされていました。「アシジはすべての人に好まれる場所であった」と。
このようにアシジでフランシスコの地と名において、アニミズムの人々、仏教、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教、ヒンズー教などの人々が集い、同じ三の広大な天の下ですべての人にとっての創造主である神に祈りました。この歴史的出来事が一つの流れを生み出し、新たな道を切り開きました。もうすでに当たり前となった言い方をすれば、単に「アシジの風」と呼ばれています。
当然のことですが、私の本は聖フランシスコの完全なカトリック精神について詳しく述べています。なぜなら完全なカトリック精神を持っているフランシスコが歴史的なフランシスコそのものだからです。いわゆるキリストとの出会い、キリストに魅了され、ある時点から彼の全生涯を赤い糸のように導いてくれる重要な機会 (聖体、教皇、福音宣教、聖痕、太陽の賛歌など) が含まれています。
読者のみなさまには、フランシスカン的あ いさつである「平和と善」が、常にあることをお祈りします。「善」、すなわち天の父に対して善に満ちた生活を送ることによる平安、「平和」すなわち兄弟との平安を持つこと。なぜなら、すべての人の父である神とのかかわりにおいてはそれを絶対的な条件としているからです。日本でわたしの本の 「誕生」がささやかで心地よい 「アジアの風」となれば幸いです。
ベラルド・ロッシ、ofm

目次
1 アシジのフランシスコの時代
2 誕生と幼年時代
3 栄光への夢
4 召し出しを待つ
5 新しい生活の始まり
6 主はわたしに兄弟を与えてくださいました
7 フランシスカン運動
8 クララとジャコパ、フランシスコと二人の女性
9 宣教の開始
10  教会
11 フランシスコ会
12 聞き入れられた二つの願い
13 中東への記念すべき旅
14 フランシスコに見られるエキュメニズムと普遍主義
15 フランシスコ会と「教養・文化」について
16 総集会
17 会則
18 グレッチオの飼い葉桶
19 殉教と聖痕
20 『被造物の参加』
21 晩年と死
22 フランシスコのメッセージと彼に対する崇敬と称揚

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