2007年12月21日金曜日

グレッチオの馬小屋と聖フランシスコ

聖フランシスコは死の三年前に、信心をかき立てるのために、グレッチオにおいて出来うる限り荘厳に幼子イエズス降誕を祝うことにした。これが新奇を求める試みと思われないために、かれはあらかじめ教皇庁に願い出て、許可をえていた。かれは飼い葉桶を用意させ、干草をはこびこませ、牛やろばをひいてきてもらった。兄弟たちが呼び集められ、人々もやって釆て、森にはその声がひびきわたった。その荘厳な夜は、たくさんの明るい光やよくひびく、調和のよい賛美の声によって、輝かしいおごそかなものとなった。神の人は飼い葉桶の前に立ち、愛情にあふれ、涙にぬれて、喜びにみたされていた。飼い葉桶の上で荘厳なミサがあげられ、フランシスコは助祭として、聖福音を朗読した。それから、周囲に立っている人々に向かって、貧しい王の誕生に関して説教を行ったが、その方の名を呼ぶときには、やさしい愛をこめて、べトレヘムのみ子、と呼ぶのであった。

グレッチオのヨハネ卿という、徳の高い、信頼できる騎士によれば―――この騎士は、キリストへの愛から、世俗の軍事的活動を捨てて、神の人の親しい友となっていた人であるが―――飼い葉桶の中には、美しい男の子が眠っており、祝福された師父フランシスコが両腕でその子を抱き、眠りからさまさせようとしたのを見たということである。この敬虔な騎士の見たことを信ずべきものにしているのは、この証人の聖性だけではない。それがのべている真実が、そのことのたしかさを示しており、以下にのべる奇跡も、そのことを確証している。フランシスコの示した手本は、人々が考慮するところとなったとき、キリストへの信仰において生ぬるい人々の心をもかきたてるカがある。人々は飼い葉桶の中の干草をもちかえったが、それは病気にかかった家畜を奇跡的にいやし、いろいろないやな悪疫を追い払う役に立ったのである。このように神は、あらゆる方法によってそのしもべに栄誉をお与えになり、かれの聖なる祈りの効力を、すばらしい奇跡という明らかなしるしによって示されたのである。
(ボナベントゥラ大伝記10:7より)